花菜類

ブロッコリー

ブロッコリー(英語:Broccoli、学名:Brassica oleracea var. italica)は、アブラナ科の緑黄色野菜。キャベツの変種。和名はミドリハナヤサイ(緑花椰菜)、メハナヤサイ(芽花椰菜)。ブロッコリーはカリフラワーの変種で、カリフラワーの方が人類に栽培される以前の原種に近い植物である。単位は「株」である。
地中海沿岸の原産。食用とするのは蕾の状態の花序と茎であり、収穫せずに栽培を続けると巨大になった花序に多数の黄色やクリーム色の花をつける。
品種はピクセル、エンデバー、グリーンベール、シャスター、パラグリーン、マーシャル、チャレンジャー、海嶺、雷鳴、緑炎、緑帝、緑笛、緑嶺などがある。

食で摂りたい、栄養素。

カリフラワー

カリフラワー(Cauliflower、学名:Brassica oleracea var. botrytis)はアブラナ科アブラナ属の一年生植物。頂花蕾を食用にする淡色野菜として栽培されるほか、観賞用途でも利用される。
名前の由来はキャベツ類の花を意味する、kale flower もしくは cole flower から。和名はハナヤサイ(花椰菜)、ハナカンラン(花甘藍)。木立花葉牡丹(キダチハナハボタン)、花キャベツと呼ぶこともある。
白くこんもりとした花蕾と太い茎が特徴。 よく似たブロッコリー(B. oleracea var. italica)は別変種。

カリフラワーの原産地については未だ明白になっていない。地中海沿岸原産のケールなど栽培されていた野菜から、突然変異によって生まれた、あるいは近東を原産地とするものが、ローマ帝国の衰退後にアラブ人の手によってヨーロッパに伝えられた、などと言われている。
ケールなどで開花前の蕾を食用にすることは古代から行われ、紀元前540年頃の記録にも残っている。これは現在の食用菜の花(はなな)やカイランと同様で、今日見られるようなカリフラワーは、この用途に適した変異種が選抜されたものと考えられる。
15世紀にイタリア、フランスで栽培されはじめ、16世紀になるとヨーロッパ全体に広まり、品種改良も進んだとみられる。18世紀頃にはインドで熱帯でも栽培できる品種が開発された。日本では白(クリーム色)の花蕾以外ほとんど生産されていないが、オレンジ・紫等の花蕾を付ける品種もあり、カラフルである。
茎の肥大化と花蕾(からい)が発育しない性質により、花梗(かこう)は低い位置で球状の塊となる。収穫せず生育させても、他のアブラナ属のようには伸長しない。日本でも最近認識されてきた緑色のロマネスコ(Romanesco)品種名「カリブロ」等も仲間である。
太い茎がミネラル・ビタミンを貯蔵する器官としての役割を果たすため、良質な花や実がつき、他のアブラナ科植物より栄養価が高い。
日本には明治初期に渡来。花梛菜(はなはぼたん)、英名カウリフラワーと紹介され試作されたが、食用としても観賞用としても普及しなかった。 第二次世界大戦後に進駐軍向けに栽培が行われ、日本での洋食文化の広まりと、改良種の輸入、栽培技術の進歩により昭和30年頃から広く普及した。

ルイ15世の愛人として知られるデュ・バリー伯爵夫人は、いくつものカールを摘み重ねたかつらを頭につけており、それがカリフラワーの花蕾を連想させるものであったことから、カリフラワーを使った料理の多くにデュ・バリーの名がつけられることとなった。

ミョウガ

ミョウガ(茗荷、学名:Zingiber mioga)はショウガ科ショウガ属の多年草。食用として利用される。

東アジア(温帯)が原産。日本の山野に自生しているものもあるが、人間が生活していたと考えられる場所以外では見られないことや、野生種がなく、5倍体(基本数x=11、2n=5x=55)であることなどから、大陸から持ち込まれて栽培されてきたと考えられる。花穂および若芽の茎が食用とされる。雌雄同株で、花器にも雄蕊、雌蕊とも揃っている両性花が開花するが、5倍体のため、受精しても親と同じ数の染色体数になることは稀で、繁殖は地下茎による栄養体繁殖が主体である。ごく稀に夏から秋にかけて温度が高い時に実を結ぶことがある。地上部に見える葉を伴った茎状のものは偽茎である。

大陸からショウガとともに持ち込まれた際、香りの強いほうを「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」と呼んだことから、これがのちにショウガ・ミョウガに転訛したとの説が有力である。
名前の由来に関しては、下記の俗説もある。
釈迦の弟子である周利槃特が、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせた。しかし名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚えることができなかった。その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草が生えていた。そこで「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草に茗荷と名付けた。
この説は前節の俗信「物忘れがひどくなる」がさらに派生したものである。これは、民話「みょうが宿」が起因となり、世の人々の評判になって知れ渡ったことで前節の俗信が一般化した。

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